交 野 物 語
KATANO STORY
カタノ バナシ

◆七夕伝説の物語

桓武天皇が平安京へ遷都したとき、交野が原で星を祀って遷都祭を行って以来、多くの皇族や貴族が交野が原を訪れ、桜見物、鷹狩りを楽しみました。交野が原には、“天の川”という名の美しい白砂の川が流れていたので、いつしか、これを夜空の“天の川”になぞらえ、奈良時代、中国か伝わって宮中の行事となっていた七夕節句の“織姫と彦星”の物語は、この地のことだとし、貴族たちは和歌を詠み随筆を書いて風流を楽しみました。これは鎌倉時代まで続きます。こうして、交野が原は、“七夕伝説の里”といわれるようになりました。1200年の歴史があります。

これが縁となって、交野の機物神社(はたものじんじゃ)、星田妙見宮(ほしだみょうけんぐう)では、織姫を祀っています。七月七日には、神社の儀式として七夕行事を行い、茅の輪をくぐって厄除けを祈願したり、笹飾りに願いの短冊を結んで夢の実現を祈ったりなど、多くの人たちで賑わいます。
こうした交野の七夕文化を守ろうと、夜空の“天の川”をイメージしてあんどんやキャンドルランタンを“天の川の岸辺”いっぱいに飾りつける、市民による、天の川七夕まつりも行われ、一夜に、2万の人が訪れます。
逢合橋でも、地区の人々による七夕まつりが行われています。

◆巨岩信仰の物語

3万~2万年まえの氷河期、生駒山系は、六甲山系とともに隆起したといわれます。
600mくらいだった山が、風雨による崩落・浸食を繰り返し、300m余りの高さまで削られました。隆起したのは、約8憶年まえ地下にできた花崗岩の層で、2,3万年経って約半分の高さになる間、崩落や浸食によって壊されなかった堅い岩が、山や谷のあちらこちらに剥きだしのまま、ゴロゴロと残りました。
 
山では、交野山(こうのさん)から獅子窟寺(ししくつじ)あたりまで、谷では、土生川(どしょうかわ)の上流から八丈岩あたりまで、天野川では、星のぶらんこ駐車場あたりから磐船神社近辺までそうした巨岩が見られます。

古代の人々は、これらの巨岩に超自然、つまり神が宿ると直感し、神話や信仰を作り出しました。登場人物の古い順から説明します。

◇ニギハヤヒの天孫降臨神話:アマテラスの特命によってニギハヤヒが、天の磐船にのって天から“哮ヶ峯”(たけるがみね)に“天孫降臨”し、物部氏の始祖となった。そのときの船が、磐船神社の船形の石であり、神社のご神体である、という神話です。

◇八丁三所の星降り(ほしくだり)伝説:弘法大師が、獅子窟寺の獅子窟岩屋で呪文を唱えると、天から北斗星が降り、その一個が光林寺、二個が星田妙見宮、五個が星の森に、計八個が三か所に降ったという伝説です。この三か所のそれそれの距離が、八丁(約880m)あるので、“八丁三所(はちちょうみどころ)”といわれます。

◇修験道(しゅげんどう):鎌倉時代以降、仏教の一派の密教と、日本古来の山岳信仰が一体となって、修験道が生まれます。交野では、交野山、獅子窟寺、磐船神社などが、修験道の霊場でした。交野山の観音岩などに、そのころの名残として梵字が残っています。

◆天の川の物語

天の川は、2~3万前から交野の地を流れていました。そこへ、生駒山系が隆起してきます。天の川は、隆起してくる山をえぐって流れ、深い峡谷を穿ちました。このような川を、“先行川”といいます。
 
交野流域の最上流には“羽衣橋”、最下流には“逢合橋”(あいあいばし)がかかり、この間約8K、美しい景観を作っています。最上流に、磐船神社、名勝磐船峡、鮎返しの滝、星のぶらんこ、星の里いわふね、植物園、水辺プラザ、七夕歌碑などがあります。

最上流の“羽衣橋”は、交野が原に伝わる“羽衣伝説”にちなんで名づけられました。

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