交野の七夕まつり
かたののたなばたまつり
なぜ、「交野は七夕のまち」と呼ばれるようになったか
奈良時代、わが国に仏教が伝わりました。
さらに、7月7日の夜、織姫と彦星が出会うという『二つ星出会い』の七夕伝説と一緒に、庭先につくった祭壇に、金銀の針や五色の糸を供え、織姫と彦星の二星(ふたぼし)に織物技術の上達を願う儀式、『乞功奠(きっこうでん)』が伝わりました。
これらは、五節句の一つ『七夕』(しちせき)として宮中の行事になりました。
奈良から京都に都を移した桓武天皇は、鷹狩りが大好きでした。
桜が美しくてキジが多いと評判の交野が原へ、桓武天皇がたびたび訪れると、いつか交野が原は、平安貴族のための桜狩りと鷹狩りのリゾート地となりました。
そのようなリゾート利用者の中に、惟(これ)喬(たか)親王(しんのう)と在原業平(ありわらのなりひら)の主従がいました。
花見や狩り、和歌をよく楽しみました。伊勢物語には、その様子が描かれています。
その中に、在原業平が詠んだ和歌がのっています。
狩り暮らし 棚機(たなばた)つめに 宿からむ 天(あま)の川原に われは来にけり
交野には、天の川という名の川が流れているので、業平は、ここを七夕伝説の地に見立て、風流心で読んだに違いありません。
それ以来、清少納言も交野は七夕の里と書き、多くの歌人も交野を七夕の里として七夕の和歌を残しました。
こうしたことがきっかけとなり、七夕と交野が結びつくようになっていったと思われます。
なお、ここでいう交野が原、交野は、今の行政区の交野市と同一ではありません。
交野の七夕まつり
ここで、現在、交野で行われている七夕まつりをご紹介します。
■機物神社
開催場所 | : | 機物神社境内 |
開催時期 | : | 7月6日・7日 |
屋台・お店 | : | 出店あり |
※変更の可能性があります。事前にご確認をお願いいたします。 |
機物神社では、昭和54年(1979)、現在のように、境内いっぱいに笹飾りの笹竹を並べる七夕まつりが行われるようになりました。
7月6日と7日の二日間で2万人が訪れます。
さらに、七月七日の深夜、逢合橋から機物神社持参の小さな笹飾りを天の川に流す『七夕流し』の儀式も、神事として行っています。
祭殿の前には、梶の木、たらようの木が植えられています。
七夕衣装での七夕挙式もできます。
江戸時代、『河内名所圖會』という観光案内書に機物神社も載っていますが、「七夕まつり」の記述はありません。
■星田妙見宮
開催場所 | : | 星田妙見宮境内 |
開催時期 | : | 7月6日・7日 |
屋台・お店 | : | 出店あり |
※変更の可能性があります。事前にご確認をお願いいたします。 |
星田妙見宮は、平成10年(1998)、七夕まつりを始めました。
根拠は、貝原益軒の『南遊紀行』と『河内名所圖會』に記述される『織女(しょくじょ)石(せき)』をご神体とする『七夕の神社』だからです。
ただ、貝原益軒という江戸時代の学者の著書『南遊紀行』に『谷の奥に星の社あり、その神は牽牛(けんぎゅう)織女(しょくじょ)なり』、また、『河内名所圖會』(1801)には『妙見(みょうけん)祠(ほこら)、妙見山にあり、土人(むらびと)、織女(しょくじょ)石(せき)と呼ぶ』とありますが、両方には、七夕まつりに関する記述はありません。
星田妙見宮の七夕まつりは、7月6日、7日で3000人の参拝者を数えます。
天の川七夕まつり
開催場所 | : | 私市駅前・水辺プラザ・星の里いわふね |
開催時期 | : | 7月 |
屋台・お店 | : | 出店あり |
※変更の可能性があります。事前にご確認をお願いいたします。 |
『天の川七夕まつり』は、2007年7月7日、第10回全国七夕サミットを大阪府の枚方市と交野市が主催したとき、交野市民手づくりの七夕まつりとして、平成17年(2005)から実施されたものです。
『夜空の銀河が、ここ交野の、地上の天の川に降り敷いたような灯火と癒やしのまつり』というコンセプトのもとに、交野市の地区、団体で実施し、今では一晩に2万人の人が訪れます。
交野の観光協会、商業連合会、工業会、料飲宿組合を巻き込んだ「七夕のまち交野」の「まちおこし」そのものの「七夕まつり」ということができます。
逢合橋(あいあいばし)七夕まつり
開催場所 | : | 逢合橋 |
開催時期 | : | 7月 |
屋台・お店 | : | 出店なし |
※変更の可能性があります。事前にご確認をお願いいたします。 |
『逢合橋七夕まつり』は、逢合橋近辺の自治会が、近くの幼稚園・小学校を誘って行う“自祝”的意味合いの小規模な「七夕まつり」です。
この自治会では、「中山観音寺跡の牽牛」と機物神社の「織姫」が7月7日の夜に「逢合橋」で逢うという、昭和の半ばごろできた『新伝説』にもとづき、「今宵、織姫と牽牛が逢合橋でデートする」と胸をわくわくさせながら七夕の夜を“自祝”しています。