第5回 交野史跡めぐり(寺コース)が行われました

◆12月9(金) 好評の史跡めぐり第5回 寺コースが、小春日和のもと、参加者43人で行われました。

◆今日の史跡めぐりは、時間を1500年ほどさかのぼって体験する旅です。


△集合場所 いきいきランド入口は、相変らず、早速、参加者でいっぱいです。



△交野高校敷地内 東車塚古墳。

◆いきなり、時間は1500年の昔に飛びます。
1972年(昭和47年)、交野高校建設時に発見された、古墳時代中期の築造とされる東車塚古墳。多数の出土品があり、その代表が甲と冑。交野市歴史民俗資料展示室に展示されています。


△三角板革綴衝角付冑(さんかくばん・かわとじ・しょうかくつき・かぶと)三角板革綴襟付短甲。(交野市歴史民俗資料展示室に展示)

◆古墳時代、実際に制作・使用されたもので、副葬品としてよく出土します。当時は、まだ、鉄の製造が充分でなかった時代ですから、どこで製造されたか興味が湧きます。被葬者が相当な権力者だったことは間違いないでしょう。


△『日の丸』古墳 (交野市歴史民俗資料展示室に展示)

◆交野車塚古墳群のなかに、円墳に四角い周濠を廻らした、別名「日の丸」古墳とも呼ばれる第3号古墳があります。全国に例がないといわれる珍しい形です。車塚古墳群の位置図で、確認ください。


△この東車塚古墳からは、交野三山がきれいに眺められます。交野の宝としていつまでも残したい「国宝級の眺望」です。
ガイドさんは、心こめて、この三山を語りました。


△大畑古墳の「後円」の上に建つ民家 前の石碑は「弥生時代住居遺跡」の文字。

◆大畑古墳は、古墳時代中期ごろの前方後円墳と推定され、真ん中を、道路が貫通しています。とても古墳跡にみえませんが、トラックの止まっているあたりから、少し登り「後円」の上を一周できます。道路反対側の「前方」は、それと確認するのはさらに難しいです。

◆交野では、古墳が多く、清水谷古墳などと同じく、民家と混在している一例といえます。

<報告>因みに、最近まで、清水谷古墳は、Googlemapを住所で調べても掲載がなく、民家の裏庭を示しました。今は、観光協会の担当者がGooglemap当局へ申請の努力をしたお陰で、提示されます。このように、観光協会では、交野の主要な史跡がGooglemapに掲載されるよう申請の努力をしています。




△寺の灯篭の辻 信仰とレクリエーションの証。

◆上は今の写真。中は2019年台風で倒壊するまでの写真。また倒壊したら危険なので大灯篭の頭部は横に安置されています。

◆京都愛宕山は「防火・消火の神様」、東大寺二月堂は「お水取り」で有名で「国家安泰・家内安全」を祈願、京都柳谷観音は「眼病の仏さん」と、今も信じられています。

◆江戸時代(おそらく昭和初期まで)、民間では、地域あげてグループで積み立て貯金して「講」で、はるばると有名な神社仏閣に詣でました。それが、唯一のレクリエーションでもありました。この石灯篭は、その「講」の方々が作ったと記されています。

◆京都では「講」の最高位は「お伊勢参り」の「講」。昭和初期、筆者の祖父は、「伊勢参りの講」を錦の御旗に、大きい顔をして何日も家を留守にしていました。



△正行寺の石仏。

◆北河内は、石仏文化の土地で、あちらこちらの古い道端で石仏に出会います。大抵は、風化が進んで顔の凹凸がありません。御影石の耐用年数は150年程度といわれますので、江戸時代ころに作られたものが多いよぅです。

◆正行寺の石仏も同じように風化していますが、古文化同好会の方々が、一体一体区別できるように整理されました。


△山添住宅の茅葺屋根(国の重要文化財)

◆以前は、外から茅葺の屋根がよく見える位置に、「国の重要文化財」の看板が建っていました。取り払われて久しくなります。


△前方に「寺住吉神社」見える「寺の棚田」風景

◆寺の住吉神社は、かいがけの道の起点になりますので、いつも「立ち寄りポイント」にしています。
しかし、神社へいたる道から見た「寺の棚田」の風景、さらに神社の前から見下ろす「棚田」とその遠方に広がる背景のシネマスコープは、「傍示の里の棚田」、私市の「松宝寺からの田園風家」などとともに「交野の田園風景ベスト5」に残したい絶景です。


△かいがけの道の標識

◆黒御影の浅く彫った部分が風化し、最高のアートになりました。「アラブの神のお守り」?
寺住吉神社の「御朱印」として、立派に通用しそうです。

△塚穴古墳の入口


△古墳の奥から見た入口。


△奥の遺体安置室。1300~1400年近く、地震や風雪をくぐりぬけて一寸の隙の崩れもありません。大昔の築造ながら、技術の高さが偲ばれます。

◆古墳時代中期(西暦5~6世紀)までは、平地の小高い場所に大きい古墳が築造されます。後期(西暦6~7世紀)になると、大陸から新しい築墓技術が伝わり、山麓に小型の古墳が集まったように作られます。寺古墳群はその時代のものと推定されます。

◆今日のクライマックスは、この塚穴古墳。長い谷間の山道を苦労してやっと辿りつきます。
古墳のなかに入れる体験など、普通では滅多にないだけに、ほとんどの人が、次々と穴に入って行きました。皆、出てきたときの感激と達成感の笑顔は、何ものにも代えがたい表情でした。
1500年の歴史タイムトンネルを、一気に駆け抜けて、歴史の向こうに到着できたよろこびにちがいありません。

◆それを見て、ガイドの桝田さんも山崎さんもまた、「予想以上だった」と満面の笑みでした。

◆桝田さん・山崎さん、ありがとうございました。

◆星野森さん、谷さん、写真と情報をありがとうございました。