交野の七夕伝説、関西TVで、7月7日 18:00 放映されます。

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◆先日、関西TVから、観光協会会長として、交野の七夕伝説について取材をうけました。

 

◆でも、取材内容は、いつもTV側から示され、ほとんど、変更を聞いてもらえません。で、いつも心が重く

なります。

◆取材内容は、天の川にかかる逢合橋で、天の川の西にある中山観音寺跡(枚方市)の牽牛さんと

川の東の機物神社(交野市)の織姫さまが、七月七日の七夕の夜、一夜の夢を結ぶというロマンについてなのです。

▼機物神社での取材の光景です。


 

 

 

 

 

 

 

 

◆中山観音寺跡の牛石(牽牛石)

 

◆観音寺公園に建てられた牽牛像

◆折角のロマンをうちこわすような話なのですが、ここ観音寺公園跡にあった「牛石」と呼ばれた石を「牽牛石」と名づけたのは、ここを発掘調査した昭和34年のことで、名づけ親もわかっているのだそうです。

ロマンあふれる言い伝えは、こうして、生まれたのだそうです。

◆その後、このロマンを信じる人たちによって、ここに、2007年7月7日、交野市と枚方市共同で行われた第10回 枚方・交野全国七夕サミットを記念して、牽牛像が建てられました。こうして、中山観音寺跡の牽牛さんのお話は、不動になったと思われます。

▼機物神社の七夕まつりの光景

◆一方、機物神社ですが、ここは、織物の技術を大陸からもたらした渡来系の人たちの氏神さまで、漢人庄員というひとを祀ったといわれます。

◆ところが、桓武天皇が奈良から長岡京へ都を移す時、長岡京の真南の交野が原で、交野郊祀(こうし)という当時の唐のやり方にならった「星まつりの地鎮祭」を2回(785、787年)行ってから、交野が原へ平安貴族が鷹狩りや桜狩りにくるようになります。交野が原は平安貴族の、いわばリゾート地になったのでした。

◆そこで平安貴族は、ここを流れる天の川を、七夕伝説の銀河に見立て、七夕の詩歌を作って風流を楽しんだのでした。

代表的な和歌は、古今集と伊勢物語にある、在原藁業平の

『狩り暮らし 棚機つめに 宿からむ 天の川原に われは来にけり』 です。

◆こうして、平安貴族が交野が原で、鷹狩りや桜狩りを楽しむうち、おそらく鎌倉時代以降、機物神社は、織姫さまを祀る神社に変わっただろうといわれます。

◆もともと機物神社には、「禊をした男の童子を祭主として祭りを行った」という記録があるのでそうですが、先代の宮司、故中村武三さんが昭和54年、現在のような、笹飾りが境内を埋め尽くす七夕まつりを創設したのでした。

◆同時に、七月七日の深夜、逢合橋から短冊を天の川に流すという神事も始められたのでした。

▼平成24年、逢合橋に建てられた歌碑

◆そうこうするうち、逢合橋のたもとに、万葉歌がたりの会によって万葉集の七夕の和歌の碑が建てられて、逢合橋は、天の川の西の牽牛と川東の織姫が出会う橋という色彩を、さらに強めていきます。

◆しかし、逢合橋という橋は、いつ架けられて、どうしてこの名がつけられたのか、交野市誌にも掲載されていません。

◆そんなあれやこれやを外に、交野の逢合橋は、西の牽牛と東の織姫が出会う橋といわれ、その話しはどんどん広がっていきます。結構なことです。

関西TVさんは、どう、放映いただけるのか、楽しみです。

 

 

 

2017年7月7日