七夕伝説の里交野 その2

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2.機物神社の祭神が、織姫になった。

平安貴族が交野が原へリゾート地として頻繁に訪れるようになってから、もっとも強い影響を受けて変わったのが、機物神社と思われます。

     

◆創 建 

 天武天皇の治世以前 1300年以上の昔とされます。

註4.交野市史 交野町略史 復刻編 246頁

 ◆祭 神 

 最初は機物技術をもった渡来人の祖先、漢人庄員を祀る氏神でしたが、平安貴族が交野が原に訪れて、七夕伝説に因んだ詩歌を作るようになって以来、おそらく鎌倉時代からのちの時代に、祭神は織姫、つまり天棚機比売大神(あまのたなばたひめのおおみかみ)に替わりました。

註5.交野市史 交野町略史 復刻編 331頁

 ◆七夕まつり 

 (今) 今日の笹飾りいっぱいの七夕まつりは、昭和54年(1979年)、今から38年前 、先代宮司中村武三さんによって始められました。

 氏子の皆さんが総出で、茅の輪を奉納し、境内いっぱいに笹飾りの竹を林立させます。まつりが終われば、お焚きあげをします。

註6.交野市史 民俗編 41頁

(エピソード) 生前、中村宮司は「神のお告げで、願い短冊を結んだ笹飾りが境内っぱいに埋まった夢を見たので、そんなかたちの七夕まつりを復活させた」と話しておられました。

さらに、由緒ある機物神社で、交野のシンボルともいえる七夕まつりを復活させたのに、交野のひとたちはその価値に誰も気づいてくれないと嘆いていました。ですから、交野市観光協会が、2005年天の川七夕まつりを始めると指導を仰ぎに訪れると、やっと身内から理解者が出たと、たいそうよろこばれました。

(昔)機物神社の昔のまつりについては、『機物神祠、倉治村にあり、此所の生土神(うぶすなかみ)とす。祭礼は7月7日、祭礼の時童男壱人を選んで祭主とす、甚だ汚穢不浄を禁ずることを専用とす』と、「河内名所圖會」という江戸時代の観光案内書にあります。

 この記述によりますと、機物神社では、7月7日、身を清めた男児に神事を司らせて、倉治村の祖先崇拝、無病息災、五穀豊穣を祈願したようです。

同じ織姫を祭神とする7月7日の祭事でも、江戸時代の祭礼は、中村武三宮司が「復活させた」という今の七夕まつりとは、思想や作法がかなり異なった祭式だったと思われます。

註7.交野市史 民俗編 40頁

 ◆祭 日 

今日の七夕まつりは7月6日、7日に行われ、約2万人 の参拝者が訪れます。 7月7日の夜は、逢合橋から短冊を流す神事が行われます。

機物神社に伝わる伝説「霞を織る織姫」

 天界に住む織姫は、幼少のころから機織りが巧みで、織った布が天から美しい雲や霧、霞となって地上を彩ったのに、成人して牽牛と結婚してからは、牽牛に夢中のあまり機織りを忘れてしまいます。これに怒った父の神様から七夕の一夜しか逢うことを許さないと、織姫と牽牛は、天の川の東西に離ればなれにさせられたという伝説が、機物神社に伝わっています。(伝説乃河内より)

註8.交野市史 民俗編 283頁

註9.伝説乃河内 松本壮吉 柳原書店 昭和53年

ご参考 七夕伝説の紙芝居 (天の川を美しくする会制作 2014年)

 
◆機物神社の七夕まつりの風景です。
 
 
 
 
 
       ▲先代宮司中村武三の姿です。
 
 
 
◆ご覧いただきありがとうございました。
 
 
 
 
 
2017年8月9日