「カタノフォトロゲ大作戦!」 大募集!

交野で初めてのフォトロゲイニング「カタノフォトロゲ大作戦!」を10月9日(祝)に開催いたします。友達や家族と一緒に交野のまちを楽しみませんか?交野のまちのほとんどをもうらして(一部枚方もあります)写真をとります。1日で、「交野のまち博士」、まちがいなし。

詳しくは https://ttravel.jp/katano/index.html をご覧ください。

フォトロゲイニング®とは? 当日配られる地図をもとに制限時間内にチェックポイントを回り、得点を集めるスポーツです。 チームごとに作戦を立て、チェックポイントでは見本と同じ写真を撮影します。 チェックポイントに設定された数字がそのまま得点となり、より合計点の高いチームが上位となります。 同じ得点の場合はゴールした時間が速い方が上位となります。 交野市では初開催のフォトロゲイニング大会。 交野の自然豊かな里山やのどかな街並みをたっぷり楽しんでもらえるようにチェックポイントも趣向を凝らしています。 ゆっくりと歩きながら交野の自然や歴史的背景や建築を楽しむというのも”フォトロゲイニング”ならではの楽しみ方です。

 

◆ご覧いただきありがとうございます。ご参加をお待ちいたします。

 

2017年9月6日

巨石のまち交野めぐり

◆今年6月2日、丹波市からバス2台で、星のぶらんこ、磐船神社に観光客を迎えたとき、「交野は巨石のまち」でもあるとPRしたら、リピートがきました。

◆早速、コース案をつくって歓迎の意をあらわしました。

1.前提:マイクロバス使用、ガイド:田中利子

2.コース:★10:00 交野カントリー倶楽部駐車場{事前許可必要} 徒歩10分★10:10~10:40交野山観音岩、及び梵字岩二つ見学⇒★11:30~13:00 獅子窟寺下でバス下車し(バスは他所へ移動)徒歩片道30分 獅子窟岩、天福岩見学 ★13:00~14:00 昼食(私市水辺プラザ)⇒★14:30~15:00 磐船神社 磐船岩見学と岩窟めぐり ★15:20 帰途へ

※磐船神社へ行かない場合は、14:30~15:00 星田妙見宮 ご神体の織女石見学をします。

◆参考資料として、2種類の解説資料準備しました.

1.「巨石のまち交野」というトータルPRです。

2.提案したコースの巨石の解説です。

◆ご覧いただき、ありがとうございました。

あなたは、交野の巨石をご覧になりたいと思いますか?

 

 

2017年8月19日

七夕伝説の里交野 その5

◆創建 2006年開始(12年前)に開始。

◆由来 天の川の私部西地区にかかる逢合橋には、いつのころからか、七夕の夜、この橋で、西の中山観音寺跡(枚方市)の牽牛石と、東の機物神社の織姫が逢う瀬を楽しむという話が伝わっています。この話をもっと発信しようと、天の川七夕まつりが、2005年始められたのをきっかけに、その翌年の2006年、この地区の住民によって始められました。 

由来の裏 

しかし、「牽牛石」とは、古代寺 中山観音寺跡(枚方市)にもともとあった『牛石』を昭和34年、ここを発掘調査した片山長三氏が、そう呼んだのが発端で、以来、七夕の夜、牽牛石と機物神社の織姫が逢合橋で会うという「新伝説」が広まったと思われます。

  ◆「新伝説」の実体化

  片山長三氏の発言を信じる人たちによって、ここに牽牛像が建てられ、「新伝説」は実体化されることになりました。  

註10.交野市史 民俗編 40頁                

註11.瀬川芳則 西田敏秀 馬場隆弘 常松隆嗣 東 秀幸「枚方の歴史」 松籟書店 2013年 117頁

◆参加  主として逢合橋近くの町内の人々

 ◆祭日 7月6日、7日 ※約300人 

◆牛石(牽牛石) 

◆「伝承」

◆「新伝説」の実体化

2007年7月7日、第10回全国七夕サミット枚方交野大会を記念して天の川星まつりの会によって建てられました。

◆牽牛像建立の趣旨

◆上記の写真は、2016年8月18日のものです。

◆2017年8月13日、訪れると、「牛石」の説明看板がかわり、牽牛像の周りには2枚の新しい掲示が建てられていました。「新伝説」が、さらに実体化されつつあるという印象でした。七夕伝説の火は、燃え続けているといえるでしょう。

◆牛石の説明看板が、新しくなっていました。黄色のノボリは、枚方市制施行70周年記念のものですが、巻き上げて固定されていました。

 

 

◆牽牛像のまわりに、「けんぎゅうくん」誕生の看板があり、となりに、「天の川星まつりの会」の看板でしょうか、10年前の牽牛像建立の説明と、この像のまえで行われてきた「香陽七夕まつり」が~香陽七夕~「けんぎゅう祭」になって、本年から香陽小学校で行われることとなったと伝えていました。

 

◆ご覧いただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

2017年8月14日

七夕伝説の里交野 その6

6.七夕の歌碑

交野では、天の川沿いに七夕鍵碑が建てられています。北{下流}から紹介します。織姫と彦星のデートの仕方の豊かさにご注目ください。

 

1.逢合橋(左岸、北西の橋のたもと)

和歌 彦星と織女(たなばたつめ)と今夜(こよひ)逢ふ 天の川門(かわと)に波立つなゆめ

歌人 万葉集巻10-2040 読人しらず

歌意 彦星と織姫が今夜逢うのです 波よ、天の川の渡り瀬に、決して波を立てないでおくれ。揮豪 岡本三千代氏 (万葉うたがたりの会)

建立 2011年7月6日

   七夕伝説継承の地として、逢合橋七夕まつり実行委員会によって建てられました。

デートの仕方 今日の七夕伝説では、彦星と織姫のデートは、朝鮮半島にすむカササギという鳥が群れてつくる「カササギの橋」を渡ると伝わっています。しかし、この和歌で興味深いのは、「天の川門に波たつな」、つまり「渡り瀬に波をたてないでおくれ」と詠っている点です。作者は、織姫が川を歩いて渡ってデートするイメージをもっているようです。素朴な少女のような印象の織姫がとても新鮮です。

 

2、第二京阪道歩道(左岸、北西の橋のたもと)

和歌 天の川遠き渡りになりにけり 交野の御野(みの)の五月雨(さみだれ)の頃

歌人 続後撰和歌集 藤原為家(ふじわら ためいえ)

歌意 天の川の対岸は遠くなりました。いま交野は五月雨の多いころですから。

揮豪 桑野幸徳氏 (元三洋電機株式会社 社長)

建立 2010年3月6日 

   第二京阪道路開通を記念し、天の川を美しくする会によって建てられました。

解説 またや見む 交野のみ野の桜狩り 花の雪散る 春のあけぼの

   交野が原の桜を愛でた、あまりにも有名なこの和歌は、平安時代の歌人 藤原俊成の

   作品です。子が藤原定家(新古今和歌集、百人一首の撰者)、孫が為家です。

   ともに京都冷泉家の祖で、冷泉家には、七夕と乞巧奠の儀式が伝わっています。

 

3.天野川緑地公園(左岸 藤棚の横)

和歌 天の川梶の音聞こゆ 彦星と織女(たなばたつめ)と今夜(こよひ)逢ふらしも

歌人 万葉集巻10-2029 柿本人麻呂歌集出 

歌意 天の川から梶の音が聞こえてきます。今夜、彦星と織姫が逢っているらしいよ。

揮豪 碧雲(生田 貢氏 私市山手在住 書家)

建立 2011年11月3日 

  交野市市制施行40周年を記念し、同実行委員会によって建てられました。

デートの仕方 いま、二人は舟の上でデートしているのでしょうか?これから舟に乗って岸のどこかに着くのでしょうか?漕ぎ手は、誰、なのでしょうか?櫓をきしませて川面を行く舟のさまに、わくわくさせられます。

 

4.星田妙見宮(一の鳥居横)

和歌 織女(たなばたつめ)し船乗りすらし まそ鏡 清き月夜に雲立ち渡る

歌人 大伴家持

歌意 織姫が迎えの船に乗っているらしい その櫓のしぶきで明月に雲がかかってきました。

揮豪 祥苑(加納正子氏 星田在住 女流書家)

建立 2011年12月23日

   5年後に1200年祭を迎えるにあたり、七夕伝説継承の地として建てられました。

デートの仕方 船には織姫しか乗っていません。彦星の待つ岸へと急ぐ船のあげる水しぶきが、織姫の胸の高まりをあらわしているようです。 

 

5.私市水辺プラザ(私市かささぎ橋横)

和歌 狩り暮らし棚機女(たなばたつめ)に宿借らむ 天の川原に我は来にけり

歌人 古今和歌集 伊勢物語 在原業平

歌意 一日狩りをして日も暮れたので、織姫さまに宿を借りよう。折角、七夕で有名な天の川原に来たのだから。

揮豪 谷井昭雄氏(元松下電器産業株式会社(現パナソニック株式会社)社長)

建立 2007年5月26日

 私市水辺プラザの竣工を記念し、天の川を美しくする会によって建てられました。

解説 この和歌は、惟喬親王と渚の院で花見をした後、天の川に来て詠った和歌で、1200年前、平安時代の京都に、交野が原が七夕伝説の里として知られるようになるきっかけとなりました。

 

 

2017年8月14日

 5.逢合橋七夕まつり

 ◆創建 2006年開始(12年前)に開始。  

◆由来 

天の川の私部西地区にかかる逢合橋には、いつのころからか、七夕の夜、この橋で、西の中山観音寺跡(枚方市)の牽牛石と、東の機物神社の織姫が逢う瀬を楽しむという話が伝わっています。この話をもっと発信しようと、天の川七夕まつりが、2005年始められたのをきっかけに、その翌年の2006年、この地区の住民によって始められました。

 ◆由来の裏 

しかし、「牽牛石」とは、古代寺 中山観音寺跡(枚方市)にもともとあった『牛石』を昭和34年、ここを発掘調査した片山長三氏が、そう呼んだのが発端で、以来、七夕の夜、牽牛石と機物神社の織姫が逢合橋で会うという「新伝説」が広まったと思われます。 

 ◆「新伝説」の実体化

  片山長三氏の発言を信じる人たちによって、ここに牽牛像が建てられ、「新伝説」は実体化されることになりました。  

註10.交野市史 民俗編 40頁

註11.瀬川芳則 西田敏秀 馬場隆弘 常松隆嗣 東 秀幸「枚方の歴史」 松籟書店 2013年 117頁

◆参加  主として逢合橋近くの町内の人々

◆祭日 7月6日、7日 ※約300人 

 

◆牛石(牽牛石) 

◆「伝承」

◆「新伝説」の実体化

2007年7月7日、第10回全国七夕サミット枚方交野大会を記念して建てられました。

◆牽牛像建立の趣旨

◆ご覧いただきありがとうございました。

 

2017年8月12日

七夕伝説の里交野 その4

4.天の川七夕まつり  (その3 星田妙見宮は後刻アップ予定です)

◆1300年以上の歴史の機物神社、1200年の古さの星田妙見宮の七夕伝説と七夕まつりを、さらに交野市あげて継承発展させようと生まれたのが、市民手作りの天の川七夕まつりです。まつりに参加する地域は、目下10地域、約20団体です。

◆創 建  2005年開始(13年前) 。

  2007年7月7日  第10回全国七夕サミット 枚方交野大会を、交野・枚方の両市が共同で主催することになっていたので、その時「交野の七夕まつり」として披露することを目的に創設されました。  

 ◆コンセプト 夜空の銀河が交野の天の川に降り敷いたような灯火いっぱいの癒しのまつり。

  ただ、観光目的で市外の観光客を集めてまちおこしすることを目指すだけでなく、観光協会のモットー『住んでよし、訪れてよし』 の方針にしたがい、交野市民にとっても、楽しみとされる故郷のまつりをめざすとしています。 

◆ともしび ローソクの火だけしか使わず、それに拘ったまつりです。

何度か、LEDを使ったらどうかという話題がもちあがりましたが、ローソクの炎には、太古の昔から人類が炎によって飢えや恐怖をしのぎ、連帯を養った生存の原       点があり、原始の炎には魂を揺さぶる力が宿るとして、この方針は一貫して変わっていません。 

◆参 加 10~12地区と約20団体 

◆祭 日7月末の土曜日来場者2005年7,500人、2016年 15,000人、2017年 17,000人  

最初は、機物神社や星田妙見宮にあわせ、7月7日の同時開催としていましたが、にわか雨などに見舞われる機会が多く、梅雨期の開催は「灯火のまつり」に支障があるとして7月末開催とし、孫などの帰省のよろこびともなるようにしています。 

 ◆交野は七夕まつりのまち意識

このまつりの開催を機に、交野市広報が、七夕まつり特集を開始し、いままで宗教行事扱いだった機物神社、妙見宮の七夕まつりを、市民イベント扱として、新設の天の川七夕まつりなどと一緒に初めて開催情報を告知 する方針にかわり、交野市は七夕のまちという意識が市民の間に急に広まることとなりました。

◆エピソード 

最初、天の川七夕まつりの創設を相談したとき、機物神社の中村宮司も星田妙見宮の佐々木宮司も、 大賛成、ともにやろうということだったのに、しばらくすると、手のひらを返したように、大反対といわれます。

どうやら、氏子の皆さんから「参拝者をとられるぞ」と両宮司に猛反対の抗議があったもようです。両宮司や氏子代表の方々と「かならず相乗効果がでる」と話しあってもラチが空きません。

当時の中田市長にお願いして市長・両宮司・観光協会で食事をし、「市長から了承してくれと頼まれたからOKしてくれと氏子の皆さんを説得してほしい」とお願いすることにしました。その代わり、交野市広報で、両神社のまつりも特集を組んで広報し、交野市あげての七夕まつりという方向へ大きく前進させよう、ということでようやく決着しました。以来、両神社とも、参拝者は増加し続けています。  

◆表 彰 

天の川七夕まつりは、あんどんや紙とうろうの絵画のような美しさ、6000個もの数のクラスランタンを並べた地上絵のような見事さが特徴です。2014年からそれらを表彰することになり、つぎの地域、団体が受賞しました。

★2014年 ・あんどんの部 市長賞 松塚地区 ・グラスランタンの部 観光協会長賞 交野ハイキング同好会 

★2015年 ・あんどんの部 市長賞 星田地区  ・グラスランタンの部 観光協会長賞 白ゆりグループ

★2016年 ・あんどんの部 市長賞 松塚地区  ・グラスランタンの部 市長賞 FC TIAMO  (この年から市長賞1つに統一されました)

★2017年 ・あんどんの部 市長賞 星田地区  ・グラスランタンの部 市長賞 天の川わんぱく村

◆天の川七夕まつりの光景です。

 

◆ご覧いただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

2017年8月11日

七夕伝説の里交野 その2

2.機物神社の祭神が、織姫になった。

平安貴族が交野が原へリゾート地として頻繁に訪れるようになってから、もっとも強い影響を受けて変わったのが、機物神社と思われます。

     

◆創 建 

 天武天皇の治世以前 1300年以上の昔とされます。

註4.交野市史 交野町略史 復刻編 246頁

 ◆祭 神 

 最初は機物技術をもった渡来人の祖先、漢人庄員を祀る氏神でしたが、平安貴族が交野が原に訪れて、七夕伝説に因んだ詩歌を作るようになって以来、おそらく鎌倉時代からのちの時代に、祭神は織姫、つまり天棚機比売大神(あまのたなばたひめのおおみかみ)に替わりました。

註5.交野市史 交野町略史 復刻編 331頁

 ◆七夕まつり 

 (今) 今日の笹飾りいっぱいの七夕まつりは、昭和54年(1979年)、今から38年前 、先代宮司中村武三さんによって始められました。

 氏子の皆さんが総出で、茅の輪を奉納し、境内いっぱいに笹飾りの竹を林立させます。まつりが終われば、お焚きあげをします。

註6.交野市史 民俗編 41頁

(エピソード) 生前、中村宮司は「神のお告げで、願い短冊を結んだ笹飾りが境内っぱいに埋まった夢を見たので、そんなかたちの七夕まつりを復活させた」と話しておられました。

さらに、由緒ある機物神社で、交野のシンボルともいえる七夕まつりを復活させたのに、交野のひとたちはその価値に誰も気づいてくれないと嘆いていました。ですから、交野市観光協会が、2005年天の川七夕まつりを始めると指導を仰ぎに訪れると、やっと身内から理解者が出たと、たいそうよろこばれました。

(昔)機物神社の昔のまつりについては、『機物神祠、倉治村にあり、此所の生土神(うぶすなかみ)とす。祭礼は7月7日、祭礼の時童男壱人を選んで祭主とす、甚だ汚穢不浄を禁ずることを専用とす』と、「河内名所圖會」という江戸時代の観光案内書にあります。

 この記述によりますと、機物神社では、7月7日、身を清めた男児に神事を司らせて、倉治村の祖先崇拝、無病息災、五穀豊穣を祈願したようです。

同じ織姫を祭神とする7月7日の祭事でも、江戸時代の祭礼は、中村武三宮司が「復活させた」という今の七夕まつりとは、思想や作法がかなり異なった祭式だったと思われます。

註7.交野市史 民俗編 40頁

 ◆祭 日 

今日の七夕まつりは7月6日、7日に行われ、約2万人 の参拝者が訪れます。 7月7日の夜は、逢合橋から短冊を流す神事が行われます。

機物神社に伝わる伝説「霞を織る織姫」

 天界に住む織姫は、幼少のころから機織りが巧みで、織った布が天から美しい雲や霧、霞となって地上を彩ったのに、成人して牽牛と結婚してからは、牽牛に夢中のあまり機織りを忘れてしまいます。これに怒った父の神様から七夕の一夜しか逢うことを許さないと、織姫と牽牛は、天の川の東西に離ればなれにさせられたという伝説が、機物神社に伝わっています。(伝説乃河内より)

註8.交野市史 民俗編 283頁

註9.伝説乃河内 松本壮吉 柳原書店 昭和53年

ご参考 七夕伝説の紙芝居 (天の川を美しくする会制作 2014年)

 
◆機物神社の七夕まつりの風景です。
 
 
 
 
 
       ▲先代宮司中村武三の姿です。
 
 
 
◆ご覧いただきありがとうございました。
 
 
 
 
 
2017年8月9日

七夕伝説の里交野 その1

1.交野は、なぜ、七夕伝説の里とよばれるのか?

 

註 この図柄は、「交野市史 民俗編」 表紙裏から引用しました。

◆始まり 

  桓武天皇が、長岡京へ遷都するとき、当時の中国、唐の国のならわしにしたがって、遷都する都の真南に、2回  交 野郊祀(こうし),つまり北極星を祀る天壇を築き、今ふうにいえば、地鎮祭をしました。(785、787年の冬至) その真南に位置するのが、交野が原でした。

    その天壇の位置ですが、「交野の柏原の野」、現在の枚方市片鉾の西南あたりとされますが、まだ特定されていません。

註1. 「交野市史 交野町略史 復刻編」 130頁、 瀬川芳則 西田敏秀 馬場隆弘 常松隆嗣 東 秀幸「枚方の歴史」 松籟書店 2013年 87頁

 ◆平安貴族のリゾート地 

 交野が原へ平安貴族が訪れると、桜は美しい、雉はたくさんいると評判になり、たちまち平安貴族の桜狩り、鷹狩りのリゾート地となりました。  

天の川と七夕伝説

 ここには「天の川」と呼ぶ川が流れているので、当時、すでに大陸から伝わっていた七夕伝説にちなんで、 平安貴族は、ここを七夕伝説の地と見立   て、七夕の和歌などを詠み、風流を楽しみました。 そのときの和歌や随筆 がいまに残ることになりました。

 

◆代表的な和歌 在原業平(古今和歌集、伊勢物語)

  狩り暮らし 棚機女(たなばたつめ)に宿借らむ 天の川原に我は来にけり

  (意味)1日狩りをして陽も暮れたので、織姫さまに宿を借りよう せっかく七夕伝説で有 名な天の川に来たのだか  ら

 ◆リゾート地の場所は? 

 約1200年前,天の川が淀川へ流入する地域、今の京阪電車「宮之坂」近辺    から東方面の淀川にいたる丘陵と平野地帯で、「禁野」という地名は、当時 の名残りです。ここは、直轄領で一般人の立ち入りを「禁じた野原」だっ たのでした。 この丘陵には、百済寺跡があります。  

 註2.交野が原と桓武天皇、七夕伝説については、「交野市史 交野町略史 復刻編」 130 ~137頁に詳しく記述されています。  

註3.ここに百済寺跡の写真を掲載しましたのは、交野が原のシンボルとしての意味からです。

▼日本では他に例のない伽藍配置で、奈良の薬師寺に似て、西塔と東塔がありました。

<西塔跡>

    ◆750年、渡来人百済王敬福(くだらのこにきしきょうふく)がここに百済寺を建てます。

  日本の国家形成と文化に大きな影響のあった百済国は、660年新羅と唐の連合軍によって滅ぼされます。その最後の王子、禅広は、朝廷に仕えて百済王(くだらのこにきし)の姓をたまわり、難波に住まいします。敬福は、禅広の曾孫で、749年、赴任先の陸奥で黄金を発掘し、大仏建立のための黄金に困窮している聖武天皇に献上します。大喜びした聖武天皇は、敬福を7階級特進させ河内守として与えた土地が、今の枚方市中宮あたりで、敬福はここへ本拠を移します。

こうして、敬福によって建てられたのが百済寺ですが、その一族は桓武天皇をはじめ天皇家とも関係が深く、特に多くの女性が後宮に入りました。

桓武天皇は、12回、交野が原へ遊猟に来ていますが、交野への頻繁な遊猟も交野天壇の地が交野が原であったのも、中宮の百済王氏との緊密な関係ゆえとされます。強いていえば、百済寺を建立した敬福かいなければ、桓武天皇の交野遊猟もなかったかもしれないし、そうすれば交野が原もなかったかもしれないとも、考えられるのです。

▼東塔跡

 

◆ご覧いただき、ありがとうございました。  

 

 

 

2017年8月9日

カタノ ノアソビ大作戦 第2弾 川遊び 行われました。

◆カタノ ノアソビ大作戦 第2弾 川遊び、行われました。

★これは、交野市星のまち観光協会主催、交野市共催で行われる親子向けのイベントで、都心から30分の交野の豊かな自然を楽しんでもらい、思い出づくり、子どものこころの成長につながればと行っています。

★交野市以外の若い家族に交野の良さを知ってもらい、できれば交野に住んでほしいという市長の方針に基づいています。

◆8月5日(土)、9:30、参加者約70名は、京阪私市駅前のビジネスセンターへ集まりました。
 

◆受付を済ませると、すぐに、ペットボトルのもんどりづくりに、とりかかります。

 

◆みんなが集まり、もんどりができあがると、七夕伝説で有名な天の川の、私市水辺プラザへ移動です。
 

◆川の浅瀬に、みんなで、もんどりをしかけます。
 

◆つぎは、さっそく、SUP(Sutad Up Paddle board), つまり、立ち漕ぎボードの体験です。

まず、インストラクターからのてほどきです。
 

◆お母さんとうまく漕げた!
 

◆SUPを楽しんだあとは、バーベキューの準備ができています。
 

◆食事がすむと、涼しい室内で、ペットボトルロケットと水てっぽうをつくり、できると、もういちど水辺プラザに戻って、遊びます。

 

※水てっぽうは、的あての予定でしたが、ロケット飛ばしが大人気で、時間がとられたうえ、夕立ちが来て「天の川の増水警報」の赤ランプがともったので、スケジュールの、的あて、モンドリあげ、を最後までできませんでしたが、なかには、親子で水てっぽうを楽しむ姿もありました。

 

◆もんどりの引き上げも、夕立ちで、十分にできず、水槽にサカナをいれたのは3人ほどで、川むつ1尾、小さなドンコが7尾、確認できました。

◆会場となった私市水辺プラザには、交野を七夕伝説の里として詠った、在原業平の和歌

狩り暮らし 棚織姫(たなばたつめ)に宿借らむ 天の川原に われはきにけり

の歌碑が建っています。 歌碑のまえで、和歌を味わってください。
 

◆つぎのカタノ フォトロゲ大作戦 です。ご参加をおまちしています。

◆ご覧いただきありがとうございました。

 

 

 

2017年8月6日

天の川七夕まつり 行われました(8/1 追記2)

◆天の川七夕まつりの日、午前中から、準備はもうすっかり整っていました。

夜、ローソクの火がともると、幻想的な美しさに輝きます。

 

▼夕方、一時、雨かもという予報もあったので、用心深く、ビニールをかぶせた地区もあります。

◆あとは、火をまつばかりです。

◆笹飾りもできあがり、雰囲気が整います。

◆別会場では、交野の若手バイオリニスト3人による、東北支援 ツナミバイオリン演奏会、最近人気のオバケ屋敷もありましたが、残念ながら、取材の手が回りませんでした。

◆唐突ですが、交野が七夕伝説のまちといわれる理由についてふれます。

それは、約1300年前、奈良から京都へ都を移した桓武天皇の時代にさかのぼります。

 

次に引用しますのは『交野の絵本』(交野市星のまち観光協会 編集)からです。

 

 

 



◆こうして交野は、天の川が流れているということで、織姫と彦星の七夕伝説になぞらえて七夕の和歌が多く読まれるようになりました。そんななかで、もっとも有名な和歌が、在原業平のつぎの和歌です。

 

狩り暮らし たなばた姫(つめ)に宿借らむ 天の川原に われは来にけり』(伊勢物語 八十二段)

(訳)狩りをして一日も暮れたのでたなばた姫に宿を借りましょう。七夕で有名な天の川に来たのですから。


◆この和歌の歌碑が、天の川七夕会場に建てられています。

 

▼写真の中央、向って左の灯火ピラミッド頂点のすぐ右にあります。(これは、2006年の天の川七夕まつりの情景です:田中隆夫氏撮影)

◆ここまで、ご覧いただき、ありがとうございます。

2017年8月2日